シネフィル(cin?fil-本来はcin?phile)とは映画通、映画狂を意味するフランス語。cim?na(映画)とphil(「愛する」の意の接頭語)を語源とする造語。今日的には単なる映画ファンや映画好きという一般的な意味合いではなく、「映画をこよなく愛する」「古今東西の映画を浴びるように見た経験を持つ」などの積極的かつ肯定的な意味合いで用いることが多い(この意味を逆手にとって揶揄として用いる場合もあるが)。従って、単なるホラー映画(だけの)ファンやアニメマニアをシネフィルとは呼ばない。当然のことながら映画作家・映画監督達の多くはシネフィルとしての経歴を持ち、ヌーヴェルヴァーグの面々やマーチン・スコセッシ、デニス・ホッパー、ジム・ジャームッシュなどのアメリカン・ニューシネマ以降の作家達のシネフィルさは有名。クエンティン・タランティーノも一般的にはシネフィル(映画通)として知られているが、彼の場合はその対象が東映ヤクザ映画や香港カンフー映画、あるいは「いわゆるB級映画」や同世代同傾向の作家に極端に偏っているため、本来的な意味でのシネフィルと言い得るかどうかは疑問。そもそも、シネフィルをこのような意味合いで用いた原点は、アンドレ・バザンを元祖とするヌーヴェルヴァーグの批評家達にある。彼らは、「全ての映画(的な要素)は既に撮られてしまっており、自分たちが為し得るのは過去の映画(的な要素)の引用と反復しかない」という明確な自意識と反省意識とから映画を批評し、自ら作成するに至った。従って、彼らにとっては古今東西の映画を見続けることは自明のことであると同時に自らの存在意義でもあった。その極北は映画史を語ることによって映画そのものを創り上げることを試みたゴダールの『映画史』にあると言えよう。